瞬きと共振

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「酔ざめの酒うらみ」現代語訳

 昔、唐の人がつくったものに「十分盃」というものがある。空の時は傾いているが、酒を注ぐと徐々にまっすぐになり、いっぱいに注いでしまうと全てこぼれる仕掛けがほどこされた、八分目までしか注げない盃だ。人の心を見つもる道具として、使われることが多かった。月も満ちた後は欠けていくのと同じ道理で、何事も八分目にしておいて間違いはない。なかでも、酒は九分目まで盃で受けてもこぼれやすい。上戸たちは相応に六分目ぐらいで飲むのが良いというのは、神酒大明神の御託宣である。日本は酒で治められてきた国だが、宴会では、終盤に「千秋楽」が謡われたときが酒盛りを終えるタイミングだと、百姓までも知っているべきだ。神代のヤマタノオロチも、酒を十分に飲むことは控えて、九つの壺にあった酒を飲み干しただけで、その身を滅ぼした。宋の詩人であり、墨で描いた竹の絵が有名な蘇東坡は、新酒の看板のために竹を描いたし、晋の詩人である劉伯倫は酒瓶を積んだ車の後ろに鋤を持たせた男を従え、「自分はどこで酒を飲んで死ぬかわからない。死んだら馬頭山の麓に埋めてくれ。土器の細工をする人の手にかかって、来世は酒徳利の原料である土になるのが願いだ」と話した。こういう人たちは。酒を好んでも酒に呑まれているわけではない。花が咲いている山や月を映す湖の風景に親しんで、詩文を作るには酒も必要なのだ。だが、今の人たちは理由もなく酒におぼれ、それぞれの家業をないがしろにしている。

 古の都と歌われる奈良は「南都諸白」という名の産地でもある。その土地柄からか樽の香りを習い覚えた、とにかく酒癖の悪い生駒屋の伝六という男がいた。百万の厨子という町に住んでいた。下女に上機で絹を織らせて、わずかな資本から徐々に儲けを出し始めた。時々はフカの刺身を食べ、春日野の桜を見に行くほどの余裕もできた。謡も自然と聞き覚えて、水屋能(水谷社の社人や禰宜たちが行う能)の見物に出かけて、禰宜たちの能を批評したこともあった。能を舞っていた社人の中に顔見知りがいて、挨拶をすると酒をたくさん振る舞われた。帰り道、三笠山が十四、五あるように見え、足元もおぼつかないほどに酔っていたが、不思議と自分の家には帰り着いた。家の門の辺りから騒いで、何の落ち度もない妻に「お前のことが嫌になった。今晩中に出て行け」と去状を書いて投げつけた。妻はこれまで繰り返されてきた酔っ払いの時の言動に嫌気が差していたので、渡りに船だと思いさっさと出て行った。

 その後、何人かが妻としてやってきたがすぐに離婚し、商売もうまくいかず収入も減っていた。ある時、また縁があって三輪の里から新しい妻がやってきた。この女性は、女神かと思うぐらい美しく、しかも夫を大事にして、忙しく働いた。五年ほどで家が栄えて、晒し布の仲買商となった。伝六は裕福な暮らしを喜んで「この家の宝は手足の動く女房だ。異国からきた三つの宝にも代えがたい」と自慢をすると、あんな奥さんを持った男は幸せだとみんなが羨ましがった。

 新年になると相生の門松を立てて、蓬莱の飾り物をする。奈良の都では西肴(三方や折敷に柑橘類、干し柿、梅干し、伊勢海老などを積んだもの。あるいは、ニシンやタニシを煮たもの)で正月を祝う。おのおの屠蘇を酌み交わして、木辻遊郭の正月買の話になった。この里の風習では、禿のつかない第三級の女郎も人気があった。義理立てのために客に尽くす女をこの年まで見たことがないが話を聞くだけでも酒が飲めるな、と伝六は酒を飲んでいたが急に何かに気を取られたように皆より先に家に戻った。いつものように妻に四の五の文句をぶつけ、妻に「俺のことを愛しているなら小指を切れ」と言った。妻は驚きながらも

「夫婦になった時から、私はすべてあなたのもの。さあ、一緒に眠って今年の幸せを夢にみましょう」

と言う。すると伝六は目の色を変えて

「さては俺を振ろうとしているな。さっさと指を切れよ。そうしないなら、今すぐ出て行って身上がり(遊女が自分でお金を払って休みを取ること)とやらをしろ」と、言い募る。妻は女心に悲しく思い

「ならば爪をはがしますから、それで堪忍してください」と泣きながら詫びた。だが、伝六はなかなか納得しない。

「せめて髪を切れ」と、女の結っていた髪を切り払った。妻はめまいがして心もぼろぼろで、悲しんだ。どうしようもなく、死にそうな気持ちになった。

 伝六はいびきをかいて前後不覚に寝てしまった。夜が明けて妻の変わり果てた姿を見てなげき悲しみ「世間体や親類の手前、お前の考えも恥ずかしい。あれこれ考えると生きてはいられない」と言って死のうとするのを妻はあの手この手で説得した。「もうこれからは酒を飲まない」と言って、酒も酒器もすべて処分した。妻の髪が伸びるまでは、赤手拭いを頭にかぶせていた。

 

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井原西鶴西鶴俗つれづれ』 巻三の四「酔ざめの酒うらみ」

*Zine『瞬きと共振』では「窓のない船室」というタイトルで翻案しました。

このページの現代語訳は立野が行いました。