瞬きと共振

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「念佛寺の和尚これは迷惑」現代語訳

 曽祖父は信州桔梗が原で甲首を取り、それから相続いて武家の家筋は劣らない。代々嘘をつかず、盗みもしない。出頭方(主君の近侍)におべっかを言わず、冬も頭巾を被らず足袋も履かない。しかめっ面をしてキッとした勤め顔をする侍は、大方時の運に恵まれなくて家を失い先祖に不孝する類の人間だという。命を軽くして義を守る武士ですら、穏やかになるほど平和な世の中なので、まして工商農に従事する人間は利益や損失のことばかり考えている。医者は人の命を請け負って、僧侶も人々を教え、極楽に導くだけでは世を渡っていくことは難しい。借金のあっせんや婚礼の仲立ち、養子の世話、資本主、月々に返済するお金、こういったものを操る方法を工夫する者を知恵者と名付けている。

 昔、和泉国の浅井家の侍、庄田助八のところに念佛寺の和尚が珍しくやってきた。

「同僚である武林重三郎の妻に助八様の妹さんはどうかと、仲を取り持ちたく参りました。お二人はお互いをよく知っているので、こちらから特に申し上げることはないのですが。私がこちらに参ったのもきっと何か縁があってのことだと思うので、ご意向を伺いたく存じます」としみじみと挨拶する。助八は目をかけてもらったことがありがたく、「よそに嫁にやるぐらいなら、仲間同然の重三郎と結婚させます。仲立ちをお願いします」と承諾した。和尚は満足して、重三郎にも内々に話をした。さて、和尚の仲立ちが噂になると、重三郎は親戚である芦間平内澤田九郎右衛門に世話を焼かせて、組頭、老中、太守の耳にも入った。こうして首尾良く準備をして、さっそく祝言を挙げた。その後、助八と重三郎が念佛寺の和尚を訪ねて礼を言うと、和尚は「この婚礼のことは知らなかった。お祝いの言葉も申し上げません」と言うので、二人は目を合わせて訝しがった。一体何がどうなっているのか。わからないことばかりだがとにかくその日は別れて帰った。その日の夜、助八の家の寝室に念佛寺の和尚が訪ねてきた。驚く助八に和尚は話す。

「驚くのも無理はありません。真実を申し上げると、私の正体は狐です。いつぞや城守が鹿狩りをした時に死にかけたのを重三郎殿が助けてくれました。それから重三郎殿を陰から見守っていると、あなたの妹に恋煩いをしていることが分かったのです。手助けしてやりたいけどこの姿ではどうしようもない。そこで念佛寺の和尚に化けて結婚の仲立ちをしたのです。あなたが結婚を承諾してくれて本当によかった。感謝しています。これからずっと両家のご武運を強く守ります」そう言って、姿を消した。

 その後、和泉国の境にある山口の空き寺に盗賊が立て篭もったことがあった。助八と重三郎は討ち手に任じられ、寺に向かっていたところ、寺の裏門からも助八と重三郎と同じ格好をした男が盗賊たちを取り囲んだ。前後を囲まれた盗賊たちは、自分たちの目的が叶わないと思ったのか全員自害して死んでしまった。本物の助八と重三郎はそのことを知らず、表門から塀を乗り越えて、垣を破って乱入したが、迎え撃つ者はおらず全員が自害していた。その首をはねて、梟木(さらし首をのせる木)にのせた。これらの武功によって、二人とも給料が上がり、昇進したことは広く知られている。

 さて、狐は人を騙すほどの知恵を持っていて、仇をなすこともあれば恩に報いようとすることもある。人として恩知らずであることは野狐にすら劣っている。禅に熱心で、悟りを開く狐は人が気恥ずかしくなるほど優れていることは言うまでもない。

 

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北条団水『一夜船』 巻四の三「念佛寺の和尚これは迷惑」

*Zine『瞬きと共振』では「空に放る願い」というタイトルで翻案しました。

このページの現代語訳は立野が行いました。