瞬きと共振

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「鯉の散らし紋」現代語訳

 川魚は淀の名物だ、と世間では言うけれども、河内の国の内助が淵という池は雑魚まですぐれているように見える。

 この池は昔から今に至るまで水が枯れたことがない。内助という漁師は池の堤に一軒家を建てて、小さい船から竿をさして漁をしていた。妻子も持たずにただ一人、生活を営んでいた。

 日頃から取り溜めていた鯉の中に、メスだが、りりしく、はっきりとした目印がついているものがいた。それだけを売らずに手元に残していると、いつの間にか鱗に「ひとつ巴」の模様ができている。内助が(模様にちなんで)鯉をともえ、と呼ぶと人のように聞き分けて自然となついていった。そのうち、水を離れて一晩中家の中で寝て、ご飯も食べるようになった。そうでない時は生簀にいた。あっという間に年月は過ぎて18年が経ち、鯉は十四、五歳の娘と変わらぬ大きさになった。

 ある時、内助に結婚の話が持ち上がり、同じ里から年配の女性を妻に迎えた。内助が漁に行ったある日の夜、妻が家にいると、裏口から立浪模様の水色の着物を着た美しい女性が駆け込んできた。

「私は内助さんとは、長年男女の関係にあって、お腹には子どももいるの。なのに、よりによってなんであなたみたいな女を妻に迎えたのかしら。憎いことのこの上ないわ。さっさとこの家を出て実家に帰りなさい。さもないと、三日のうちに大きな波を立たせてこの家ごと池に沈めるから」

 女は妻に一方的にまくし立てると、そのまま出て行ってしまった。

 内助が帰ってくるなり、妻はこの恐ろしい出来事について話した。

「まったく身に覚えがないな。だいたいお前も分かるだろう。こんな冴えない男にそんな美人がなびくわけない。これまで化粧品や針の行商に来た女の人と行きずりでそうなったことはあったさ。でも、それはその時々で終わっていることで今更どうこうなることじゃない。なにか幻でも見たんじゃないか」

 そう言って、また夕暮れから船を出して漁に出た。すると、突然さざ波が荒れ出して、揺れる浮き藻の中から大きな鯉が船に飛び乗って、口から子どものようなものを吐き出して消えた。やっとのことで逃げ帰って生簀を見ると、鯉はいなくなっていた。

「総じて生き物をあまりにかわいがりすぎるのは良くない」とその里の人たちが語った。

 

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井原西鶴 『西鶴諸国ばなし』 巻四の七「鯉の散らし紋」

*Zine『瞬きと共振』では、「うろこの星」というタイトルで翻案しました。

このページの現代語訳は立野が行いました。

「身の悪を我口から白人となる浮気娘」現代語訳

 

 身分が低い家の娘も容姿が評価され、姉が嫁いでいた家の後家になり、年寄りの男を夫に持つこともある。商売の都合のために下働きの男を跡継ぎに引き上げて、娘と結婚させる家もある。持参金を目当てに田舎から農業をしていて日に黒く焼けている養子をもらう家もある。気の長い親たちは子どもたちが幼い頃からいいなづけの約束をして、年月が経って娘は思いのほか美しく育ち、男は禿頭ですこし愚かなやつに育って、結婚することもあるが先のことはわからないことだ。

 こうした娘たちからすると今っぽいかっこいい男を見ると「あんな男と結婚したい」と思うのも無理はない。その上、姑は恐ろしく、離縁されないように、朝早く起きて髪を結っているところを見られないように、暗がりで行水をして夫に疑われないように、あらゆることに遠慮しながら生活している。侍女もいるのに自分も家のことをする。茶釜に余分な薪をくべないようにしたり、着物の中入れ綿を引き延ばしたりする。朝夕の食事の時もあたふたと箸を取ることはなく、肉や魚も食べない。針仕事の合間にかすかな灯火を頼りに伊勢物語や薄雪物語を中くらいの声で読んで、夫がうたた寝をしたら布団をかぶせて夏の夜は自分は寝もせずに団扇でずっとあおいだ。鼻の低い夫を大事にして人の目につかないように白髪を抜いて、家を出てきたら帰ってくるまで床で待って、片時も存在を忘れることはなかった。夫の世間知らずに呆れそうになったら「世界の男は総じてこんな野暮で不器量なもの」と思って、外を見ない能天気さにも、一途に「こんな人は日本にはいない」とはじめはありがたく思って、朝鮮人参のように大事にした。

 だが女は総じて移り気なもの。次第に心持ちもしゃれてきて、男女の恋の話にうつつをぬかし、濡狂言(男女の情事を主題にした芝居)を本当のものと思って、いつも心を乱している。芝居の帰りには、二軒茶屋のすだれから、蓮華光院の藤見物から帰る美しい歌舞伎役者たちの顔を見て、浮かれて帰った。

 家に戻るとこれまで大事にしていた夫のことが鬱陶しくなった。入れ込んでいる役者の定紋がついた扇や手拭いを持ち、重ね掃きする下着に自分の家の紋と役者の紋をこっそり重ねた。侍女相手に役者の噂話ばかりしている。夫のことを嫌いになったから離縁されるために愛想を尽かされる計画を立てた。これまでの倹約家でつつましい妻の振る舞いは全部やめた。竃の薪を必要以上に燃やすことも、必要のないところに灯りをともすことも気にしない。麻上下(夫の仕事用の服)はしわが寄ったままたんすに押し込み、節句の日の朝は寝たままで、髪も結わなかった。「めまいがして立ちくらみがある」と言って、昼も平然と寝ている。夫と体を重ねる日も機嫌が悪くぶすくれた顔をして、「食欲がない」とおかずに好き嫌いを言い、自分用に作り直させた。襖障子をちぎってこよりにして、色付の柱(国産の木に色をつけて唐木に見せたもの)にお歯黒にするための液を吹きかけた。床の間の漆塗りの縁に当てて楊枝を削り、書院(縁側に張り出した、文机を作りつけにした設え)の軒端は洗濯物を干す竿の支えとした。接木をした後に初めて咲いた花を容赦無くへし折り、芝居のうわさに気を取られているうちに漬物桶に塩を入れるタイミングを忘れ、瓜や茄子を腐らせた。歌舞伎の上演劇が替わるときに配布される、番付売(タイトルや配役をまとめたもの)を下男や小僧を走らせて買い求め、家の門口に立って歌祭文(俗曲の一種)を謡いながら米や銭を乞う者には求められるままに渡した。何もないのに「この座敷、不気味な音がする。夜中に私のところに狐が来たの。憑かれるといけないからあなたとは一緒に寝ない」と言って、夫と共に寝るのも拒否した。とにかく嫌われるためにいろんなことをした。

 夫と言い争いになった。「お気に召さない妻を一日中見ているあなたも悪い。一体どこが好きで私みたいな人間を妻にして、ぐずぐずと気の合わないことを眺めているのかしら」と、妻はいう。それから二つ三つ会話の応酬があった後、使用人の耳にも届くぐらいの声で泣き出した。髪の先を少しだけ切って辻駕籠に乗り、さっさと実家に帰った。

「これまでずいぶん我慢していたけど、これ以上は生きていられるかもわかりません。これが最後かもしれないとちょっと顔を見せに帰ってきました」と言って泣き出した。娘の両親は心配して

「一体どうしたの。娘はあなた一人。どこにいても元気でさえいてくれたらそれで満足よ。思っていることをなんでも話して」と聞いた。

「包み隠さずお話しします。夫は毎晩大酒を飲んで酔っ払って帰ってきては、気晴らしに刃物を抜いて私の胸元に当てるのです。その時は、もうお父様たちには二度とお目にかかれないんじゃないかと魂も消えそうで生きた心地がしません。これが毎晩三回は繰り返される。毎晩のことだから、そういう癖がある人なのだと随分我慢していたけれど、今回は私を裸にして荒縄で縛って床柱にくくりつけました。私を罪人に見立てて責める真似だといって、玄関に用心のためにかけていた槍の鞘を抜いて、肋骨の下あたりをひんやりとなぞった。本気ではないと分かっていても心臓に悪い。これほどの恐ろしさ、話で伝えられるものではないでしょう。私はお嫁に行ったはずなのに、これでは罪人が費用をかけて嫁入り道具を持って家に入ったようなもの。女が結婚後に里に帰ってくるなんて世間様に恥ずかしいと、これまでは我慢していたけれど、酒を飲んだ夫の手元が狂ったらどこを刺されて死んでもおかしくない。だから、今生の別れの挨拶に参りました」ととんでもない作り話をでっちあげた。

 娘がしくしく泣いて話すと父親は歯ぎしりをして、大いに腹を立てた。

「大事な娘を罪人のように責めてもらおうと思って、お金をかけて嫁にやったわけではない。嫁入りのお金を集めるのにどれほど苦労したか。こちらがあちらをどれだけ立ててきたことか。自分の家で娘を養っていけないような貧しい家だとしてもこんなことを許すはずがない。町奉行に訴えて、うちに取り戻して今の男より十倍良い家に嫁がせる。お前は気にするな」と興奮して怒りのままに重手代(部下)を呼びつけて、夫の家に離婚の話をさせに行こうとするのを娘が止める。

「お父様の耳に入ったらこうやってお怒りになるだろうから、それが悲しくて今まで黙っていたんです。夫は酒に酔うと理性がなくなり、些細なことにも腹を立てます。親であろうが刀を抜いて打ち付けて、暴力を振るうような男です。とにかく今回のことは話さないで、娘は病気でしばらく養生させたいから全快するまで暇をやってください、と言って円満に離婚するのが良いでしょう。後々まで恨まれるようなことになったら、私がどこかの家に再婚に行くときの災いになりかねません。お母様、ここは分別をめぐらせるところですよ。お父様をなだめて波風が立たないように、さらっと解決してしまうのが跡取りであるお兄様のためでもあるのではないでしょうか」と言うと、両親はうなずいて

「おお。お前は若いが、その考えはもっともだ。お前はまた再婚する身だから、婿が自分のひどい行いは言わずに、お前を逆恨みして、先々にどんな危害を加えてくるか分からない。ここはうまく向こうの機嫌をとって、暇を取るのがかしこいやり方だ」と、平凡な人間である両親は何も悪くない婿を怨み、娘を実家に戻すための様々な手続きを部下に命じた。離婚が叶うと「この家の跡取りである息子が近いうちに嫁を取るから、それより前に娘を良い家に嫁がせたい」といろんなところに相談に出かけた。

 元々、娘は役者が好きで夫のことを嫌がるようになったのだから、再婚する気などさらさらない。

「その家は日蓮宗。ここは姑が気難しい。そこは商売が気に入らない。この男は頭が悪いらしいわ。また結婚に失敗して家に戻ったら私は世間の笑い者になってこれまでのように暮らしていけないはず。今までの結婚よりもっと慎重になるべきではありませんか。お父様とお母様がなんだか急いで話をつけようとするのが納得いきません」と文句をつけ、仮病をよそおった。侍女と示し合わせて、食事の時には「なんだか気分が悪くて、食べ物を見るのも嫌です」と箸も取らず、二階に上がって横になったところで、侍女が持ってきたおにぎりを食べた。そうやって、こっそり食事を取っていたので、十日以上表向きは何も食べずにいても平気だった。普段から、頭が痛いと頭痛を治すための鉢巻をして具合が悪そうな顔を装った。両親はとても心配して鍼医を呼んだ。娘は痛くもない腹を見せる。「結婚生活で気遣いばかりして、夫に暴力紛いのことまでされて気力が尽きたんでしょう」と医者は勝手に納得した。

 両親は、まず再婚話をやめて、東山が見える景色の良い先斗町の座敷を借りて娘を養生させた。「気が向いたら毎日どこへでも遊びに出かけたらいい」と言って、長年家に仕えている部下を付けて、思う存分養生させようとした。親を騙すような一連の話は、悪人の女大将と言える。

 娘は、例の侍女を連れて毎日芝居に行った。思いを寄せる役者に恋文を書いて茶屋に仲介を頼んだが、役者にとって恋愛事は業界のご法度で、お互いに慎むことがしきたりなので手紙を手に取ることはなかった。だが、茶屋が返事を偽装して、高価な服をねだる、金銭の援助を求めるようなことを書いて、娘に貢がせるようになった。娘は

「役者に恋するのは随分お金がいるものね」

と思いながらも、今さら片思いの恋はやめられるものではない。いくら養生のためと言っても、使い道を言えない大きな金額のお金を親元から取ってくるわけにはいかない。家に出入りしていた絹屋に近づき、親が譲ってもいない衣棚通にある家を抵当に入れる事を考えた。

「今度、嫁に行くことになったら再婚だから、両親はこの家を私のものにして近日再婚にこぎ着かせるつもりなのだけれど。家が付いてくるという欲で私と結婚しようとする男はどうにも真心がないと思うのです。私はそのようなところにお嫁に行きたくはありません。だから、あの衣棚通の家を質に入れて、お金を百両ばかり用意して、私が素敵に思うような今っぽい服を買って、毎日違う服で出かけて、あの娘なら何が付いてこなくても結婚したいと言うような男性のところに嫁入りするつもりです。こうして養生しているうちに、好みの服を注文して、あなたと相談してこしらえたいから、家を抵当に入れて百両借りてくれませんか」と頼んだ。「これはかなりの利益が見込める」と呉服屋の手代は引き受けて、主人の金を百両持ってきて、娘に衣棚の家を抵当に入れる、といった旨の証文を書かせて、お金を渡して帰った。娘はお金を計算なしに浪費して使い果たした。そのうち、普段着さえなくなっているのを親が気をつけて見ていると、娘の品行の悪さに気づいた。さまざまな悪行がある中でも、親が譲ってもいない家を抵当に入れてお金を作ったことには、

「世の中には、親が死んだらその遺産で借金額の二倍を返すといって、借金をするロクでもない息子がいると言う話は聞いていたが、娘がこんなことをするなんて聞いたことがない」と親族一同、娘を見限って着物を脱がせて一重紙子に着替えさせ、勘当帳に記入して町奉行所に届けて、家から追い出した。

 こんなことになっても娘は恋をやめない。それから素人の遊女になって、役者と座敷を共にすることを喜んだ。

「好きな男と一緒に寝れるなら前からこの身分でいたのに」とやりたい放題に生きていった。

 

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江島其磧『世間娘気質』 巻四の三「身の悪を我口から白人となる浮気娘」

*Zine『瞬きと共振』では、「駆け抜けてゆく」というタイトルで翻案しました。

このページの現代語訳は立野が行いました。

 

「夢に京より戻る」現代語訳

桜鯛・桜貝、春の終わりに地引網を引く堺の浜に、朝早く通う魚売りたちが、魚を入れる目籠を背負って大道筋柳町(大阪・堺にある町)を歩いていると、美しい女性がたどたどしい足取りで歩いてくる。しおれた藤の枝をかざし、従者も連れずにただ一人で歩いている。

魚売りたちは皆若くて血気盛んだけれど、さすがにこんな時間に従者も連れずに歩いているような女性には声をかけられず、ぼんやりと後をついて行った。女性は朱座(幕府から朱墨の独占販売を許された商家)の門に立ち、または両替屋の家の表に立って、戸が開かないのを恨めしそうに見ている。

「さては浮気をしにきた女に違いない。朝が来るまでの楽しみに、通りの南端にある密会用の宿に連れて行こう」と男たちは無分別に思い立ち、俺も俺もと女性に近寄って

「夜に一人で出歩いているのは危険です。どこへでも送り届けますよ。その藤の花の枝を一つくれませんか」と話しかけた。

「私が苦しい思いをしているのもこの藤の枝のため。藤の花に春の雨風なんて絶対良くないのに、その上手折ってしまう人がいることのなんてひどいこと。昼に人に見られることも惜しいぐらいなのに、見ていない人(妻や娘)のためと言って折って持って帰る人間の妻や娘までも憎い。だからこうやって取り返してもらうために歩いているの」女性はこう話すといつの間にか消えていなくなってしまった。 

 男たちは不思議に思って、土地の人にこの話をすると「思い当たる話がある。昔、後小松院(室町時代天皇)が在位していた頃、この里の金光寺の白藤はすばらしく美しいと聞いて、都の宮中の正殿の大庭に藤を移植させた。春が来たけれど花が咲かず、そのことを悔やんでいると、ある夜藤の精が夢に現れて『おもひきや堺の裏の藤浪の都の松にかかるべきとは』(堺の藤が都の松の枝にかかって咲くようになるとは思ってもみませんでした)と話す。それで、もう一度この場所に藤を戻して植えたそうだ。今回のもそういう話なのかもしれない」と聞かせてくれた。

夜が明けて男たちが金光寺に行ってみると、案の定、見物人たちが折って持ち帰った花はすべて元どおり藤棚にあった。「さては名木名草の不思議のしるしの現れだ」と、その後は下の方についている葉の一枚さえも無駄に折り取られることはなかったという。

 

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井原西鶴西鶴諸国ものがたり』 巻四の五「夢に京より戻る」

*Zine『瞬きと共振』では、「膨張する森」というタイトルで翻案しました。

このページの現代語訳は立野が行いました。