瞬きと共振

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「夢に京より戻る」現代語訳

桜鯛・桜貝、春の終わりに地引網を引く堺の浜に、朝早く通う魚売りたちが、魚を入れる目籠を背負って大道筋柳町(大阪・堺にある町)を歩いていると、美しい女性がたどたどしい足取りで歩いてくる。しおれた藤の枝をかざし、従者も連れずにただ一人で歩いている。

魚売りたちは皆若くて血気盛んだけれど、さすがにこんな時間に従者も連れずに歩いているような女性には声をかけられず、ぼんやりと後をついて行った。女性は朱座(幕府から朱墨の独占販売を許された商家)の門に立ち、または両替屋の家の表に立って、戸が開かないのを恨めしそうに見ている。

「さては浮気をしにきた女に違いない。朝が来るまでの楽しみに、通りの南端にある密会用の宿に連れて行こう」と男たちは無分別に思い立ち、俺も俺もと女性に近寄って

「夜に一人で出歩いているのは危険です。どこへでも送り届けますよ。その藤の花の枝を一つくれませんか」と話しかけた。

「私が苦しい思いをしているのもこの藤の枝のため。藤の花に春の雨風なんて絶対良くないのに、その上手折ってしまう人がいることのなんてひどいこと。昼に人に見られることも惜しいぐらいなのに、見ていない人(妻や娘)のためと言って折って持って帰る人間の妻や娘までも憎い。だからこうやって取り返してもらうために歩いているの」女性はこう話すといつの間にか消えていなくなってしまった。 

 男たちは不思議に思って、土地の人にこの話をすると「思い当たる話がある。昔、後小松院(室町時代天皇)が在位していた頃、この里の金光寺の白藤はすばらしく美しいと聞いて、都の宮中の正殿の大庭に藤を移植させた。春が来たけれど花が咲かず、そのことを悔やんでいると、ある夜藤の精が夢に現れて『おもひきや堺の裏の藤浪の都の松にかかるべきとは』(堺の藤が都の松の枝にかかって咲くようになるとは思ってもみませんでした)と話す。それで、もう一度この場所に藤を戻して植えたそうだ。今回のもそういう話なのかもしれない」と聞かせてくれた。

夜が明けて男たちが金光寺に行ってみると、案の定、見物人たちが折って持ち帰った花はすべて元どおり藤棚にあった。「さては名木名草の不思議のしるしの現れだ」と、その後は下の方についている葉の一枚さえも無駄に折り取られることはなかったという。

 

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井原西鶴西鶴諸国ものがたり』 巻四の五「夢に京より戻る」

*Zine『瞬きと共振』では、「膨張する森」というタイトルで翻案しました。

このページの現代語訳は立野が行いました。